大講義の工夫(民法・入門講義の場合)

私は民法を専攻しており、現在担当する主要な授業は、法科大学院の民法演習と法学部の民法I(民法入門・総則)である。法学部の講義は法学部に入学した学生が最初に聞く講義の一つであり、従来批判の強いマスプロ講義の典型的なもので、それなりの工夫や注意が必要になる。私が意識的に工夫している点を二、三述べるが、それが成功しているのかどうかは私自身にもよく分からない場合もあり、その点はご了解いただきたい。

全員を巻き込む
私の講義は常時400名から500名の学生が聴講しているため、最前列の学生と教室(511教室)の後ろに座っている学生では物理的にもずいぶん離れている。次第に分かってきたことだが、後列の学生はどうも自宅でテレビでも見ているように感じているようである。とくに前列の学生に質問したりすると後列の学生は「疎外感?」を感じるのか私語も出て来ることが多い。そこで、語りかける時は必ず最後列の学生に目線を送りながら、場合によっては講義室を歩き回りながら話すよう心がけている。資料を配布する際も、前列の学生に渡して送ってもらうだけでなく、後列の学生にも配布し、前に送ってもらうようにしている。そうすると、学生も「講義は自分に語りかけられているのだ」と感じるようで一応おとなしく聴講していることが多い。

話は15分単位
弁護士や裁判官の卵に司法修習所でおこなわれる司法研修の授業も50分が1コマであり、現在の90分間連続の講義は、学生にとって集中力を維持するのは難しい。それは自分が聴講する側だった時の記憶をたどってもそうである。私の場合は、15分を目安に、本論をいったん断ち切り講義とは直接関係のない話を間に挟んで、一休みすることにしている。入門的な講義であるため、そのような時には法律を専門的に学ぶことの意味(私が体験した実務的な話が多い)や、時事的な法律の話題が多い。とくに用意しているわけではないが、講義の本論から連想される「脱線」は長すぎなければ、話す方にも聞く方にもリフレッシュの機会となり、より緊張感を持って本来の講義内容に集中することができるように感じている。

手を動かさせる
現在の学生、とくに1年生の場合は、驚くべきことに話していることをそのままノートすることはほとんどしない。板書すれば書き写すが、これでは板書のスピードに講義の進行が制限されてしまうため、どうしても情報量が少なくなってしまう。そこで、板書は図や重要な語句に限定し、レジュメを配付している。それ以外にも教科書、六法全書、判例集等の特定の個所を指摘して、そのつど学生に参照させている。さすがにこれを無視する学生はほとんどおらず、また手を動かせば意識が覚醒するし、現在の話題の位置を確かめることもできる。 以上、私が心がけているちょっとした工夫であるが、講義の内容も90%くらいは理解できるものにしておき、残り10%くらいかなり歯ごたえのあるすぐには理解できないトピクを織り交ぜておくようにしている。全部分かってしまうとそれ以上自習しようとはしないし、質問しようという気にならない。講義ですべてを語り尽くすことは到底できないから、学生の研究意欲をかき立てるためにも、未解明の先端的な問題を投げ掛けておくことも、教師として当然の義務ではあるまいか。